中森明菜!伝説のアイドルと呼ばれた彼女の生い立ちからデビューまでを一挙公開

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「花の82年組」アイドルとしてトップを走る続けた、中森明菜さん。

もはや、伝説のアイドルと呼ばれる彼女の歌う姿は、観るものすべてが新鮮で、私たちに大きな衝撃を与えてくれました。

圧倒的な存在感をもつ彼女の才能は、一言ではいい表せません。

今回はそんな、中森明菜さんの生い立ちからデビューまでの道のりやエピソードなどをお届けしていきます。

 

 

伝説のアイドル!中森明菜はいかにして誕生したのか?

昭和を代表する歌姫!中森明菜さん。

その圧倒的な存在感と歌唱力で、多くの人々を魅了し、「伝説のアイドル」として今なお語り継がれています。

しかし、彼女がたどった道のりは決して平坦なものではありませんでした。

母親も当時、美空ひばりさんが大好きで、歌手を目指していた時期があったが、父親との結婚が理由で、歌手の夢を断念しました。

その影響もあったのか、幼い頃から歌うことが好きになり、特に山口百恵さんと松田聖子さんに憧れていた明菜さんは、次第に歌手を夢見ることになりました。

その夢を叶えるために、明菜さんは幾度となくオーディションに挑戦しますが、当時は、まだ幼く思うように結果が出ませんでした。

それでも彼女は諦めることなく、絶対に成功してお金を稼ぐことでみんなを喜ばせたいという気持ちがあったようです。

この発言は明菜さんが、まだ小学生の頃で、なかなかそんなことは、小学生の口からは言えないですし、言える勇気もありません。

中学生になると、歌唱力に磨きをかけ、表現力を豊かにするための努力を惜しみませんでした。

人知れず積み重ねられた地道な努力こそが、後の「伝説のアイドル」になる基盤を築き上げたのです!

中森明菜さんの真の才能が誕生したのは、彼女を取りまく家庭環境と母親の影響にあっだと考えれます。

 

生い立ちから紐解く中森明菜がスタートを駆け上がった理由

中森明菜さんが、国民的スタートと駆け上がった背景には、彼女の生い立ちが深く関係しています。

1965年、東京都大田区生まれの清瀬市で育った明菜さんは、6人兄弟の5番目で、大家族の家庭で育ちました。

決して裕福な家庭ではなく、早くから自立心と責任感を持ち家族を支えたいという強い思いを抱いていました。

実家は、精肉店を営んでおり経営は、かなり厳しかったと言われています。

彼女は、4歳から14歳まで10年間バレエを習っていて、幼い頃から振り付けや衣装などにこだわりを持っていました。

すでにこの時から、明菜さんは出来上がってたんですね!

 

この経験が、彼女の内に秘めた情熱と芯の強さを育んだのです。

特にアイドルデビューしてからの彼女のプロ意識の高さは郡を抜いていました。

常に完璧を求め、妥協を許さない姿勢は、幼少期に培われた真面目さと探究心から来ています。

また、明菜さんの歌には、喜びだけでなく、悲しみや葛藤といった複雑な感情が深く表現されています。

これは、彼女がこれまでに経験してきた様々な出来事や心の内をありのままに表現することにつながりました。

たんに可愛いだけのアイドルではない、人間味あふれる表現力こそが、同世代の若者たちの共感を呼びスターを駆け上がった理由の一つではないでしょうか。

 

中森明菜さんの歌声は、単なるメロディーではなく、彼女自身の人生そのものを物語っているような気がします。

 

厳しいオーディションを勝ち抜いた中森明菜のデビュー秘話

1979年、視聴者参加型歌手オーディション番組「スター誕生!」に応募した中森明菜さん。

彼女は、このオーディション番組に合格するまで、幾度も挫折を味わっていました。

彼女が初めて同番組のオーディションを受けたのは、13歳の時で、岩崎宏美さんの「夏に抱かれて」を歌い結果は不合格でした。

その後もオーディションに挑戦するものの、結果はまたもや不合格で、その時に歌った曲が、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」です。

しかし、彼女の心は折れることなく、16歳になった1981年、明菜さんは、3度目となる「スター誕生!」に挑戦しこれが彼女にとって最後のチャンスでした。

今までの努力を全てぶつけるように、研き澄まれた歌声と表現力で、審査員を圧倒します。

そこで、山口百恵さんの「夢先案内人」を歌い、これまでの参加者にはない、大人びた色気と迫力を披露し、審査員から絶賛の声が上がりました。

そこで、番組史上最高得点となる392点で、驚異的な記録を吐き出し、見事に合格をつかみ取ったのです!

そして翌年の1982年5月1日にシングル「スローモーション」でデビューを果たします。

 

このデビュー秘話は、彼女の才能だけでなく、決して諦めない強い意志があったからこそ、成し遂げられた快挙だと言えるでしょう。

 

伝説はここから始まった!衝撃を与えた中森明菜のデビュー曲

1982年5月1日、中森明菜さんは、「スローモーション」でデビューを果たします。

このデビュー曲は、当時のアイドルソングの主流であったアップテンポで明るい曲調とは一線を画し、繊細で物憂げな雰囲気を持ったバラードでした。

これまでのアイドル像とは全く異なる「クール」で「アンニュイ」的な魅力は、世間に衝撃を与えました。

しかし、明菜さんいわく、「本当はアイドルのように可愛い衣装で可愛い歌を歌いたかったと」そう語るのは、明菜さん誕生の立役者であるディレクターの島田雄三さんです。

そして、続くセカンドシングル「少女A」では、「どうしても歌いたくなかった!曲もタイトルも嫌いだった。」と島田さんは、当時の彼女の心境を語っています。

 

不良っぽくも見える反抗的な歌詞と、どこか退廃的な雰囲気は、それまでのアイドルのイメージをくつがえし、同世代の若者たちの心をつかみました。

この曲で、彼女は「スローモーション」の純粋なイメージから一転、不良少女という新たなキャラクターを生み出し、一気にトップスターの座へと駆け上がります。

デビューからわずか数カ月で明菜さんは唯一無二の存在となりました。

 

その大胆な戦略と、それを完璧に表現する彼女の才能が、「伝説」を呼び起こすきっかけとなったのです。

中森明菜さんが、しきりに否定していた、曲だったがそれを者ともせず見事に歌いきった彼女も凄いですが、その才能を見抜いた島田ディレクターも凄いですね!

 

まとめ

いかがだったでしょうか、今回は、「伝説のアイドル」中森明菜さんの生い立ちからデビューまでの道のりをお届け致しました。

中森明菜さんは、デビュー当時からずっと観てましたし、50代の私にとっては、まさに青春のど真ん中でした。

最近、明菜さんが野外劇場で、小室さんと共演しているライブを「You Tube」で拝見しました。

明菜さんが登場してくる瞬間、思わず涙が目に浮かび、デビュー当時のことを色々思いだしながら観ていました。

本当に元気で嬉しかったです!

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